なびす画廊

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「元無極躰 No.3」アクリルにキャンバス、
2008年60.6x50cm(F12)


「伊都能賣 No.1」アクリルにキャンバス、
2008年72.8x60.6cm(F20)





企画
黒須 信雄展
KUROSU Nobuo

2009.06.01(月)―06.13(土)

「作家コメント」

 長きに亘り闇のなかに逼塞しつづけてのち高松塚古墳壁画が<発見>されて以来、急速な劣化に見舞われたのは、実証科学的に看れば外気との接触から招来された環境変化に因るものであろうが、一方に絵画的本質に鑑みるなら<人間的眼差し>に晒されたがゆえであろう。<人間的眼差し>とは換言すれば、存在者の内にあって専ら<見る>を意識化する者の視覚ヴェクトルのことであり、存在論的遡行意志である処の<見る>を<見える>へ拡散させることによって認知する仕組のことである。これは本質的に<見る>をも<見える>をもその礎としない。何となれば、前者は存在論的意志にこそ関与するのであって眼差しの個體的限定からは逃れており、後者は敢えて<人間的>と特化するまでもなく眼差しを有する悉皆の視覚的基底なのである。絵画は、何より存在論的遡行意志としての<見る>にこそ深く関わるが、然るに中間的で限界づけられた<人間的眼差し>をひとつの始點としなければならない。絵画の実質とは存在形式転換としての顕現だからである。前に挙げた高松塚古墳壁画の<劣化>は物質的な実現から存在論的顕現への転化の過程であるけれども、此処で留意しなければならないのは、それが長きに亘る闇への同化を経ていることであって、それゆえにこそ<人間的眼差し>が非物質的な存在形式転換としての顕現を純然たるかたちで導出したのであり、絵画の実質としての顕現を <意識化>してのちには、<見える>ものとしての物質的組成の段階に於て闇への同化がなされなければならない。それゆえに、絵画を自律的に成立させることには、光と闇をその分節以前の始原乃至は始原以前に於て物質内部に隠在させることが必要となる。光と闇は始原なき始原へと結ばれる処の始原に於ける相克であり、絵画の自律は本質的に<喪失=顕現>である。当然ながら、それは無限階梯としての零(ゼロ)と云う<有り得ないもの>であり、絵画の基底が不可能性であることはかくなる點からも証されると云えよう。

二〇〇九・三・一 黒須信雄



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