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 「山について」ブロンズ、2006年(撮影;佐藤毅)

 
 「山について」ブロンズ、2006年,7x7x10cm

 
 「山について」綿布に岩絵具、2006年10月,22x22cm×3枚


 
 展示風景

企画
山崎 豊三展
YAMAZAKI Toyomi

2007.02.13(火)―02.24(土)

「作家コメント」

寂しい天地

 ゆらゆらと続く細い径をたどって行くと雑木林をぬけて峠に出る。
 
 大きな街道の大きな名のある峠ではない。
 山村の小さな村と村を結ぶ、ほんの小さな坂道の登り下りほどの峠である。
 四月、ようやく暖かい日が続くようになって、大山桜の葉の照りのあるベンガラ色と、花の薄紅色が、ようやく芽吹き始めた雑木の中に見え、そのむこうにまだ雪の深い高い山の白い峰々が、すぐ、そこに見える。私は大山桜のどこか邪気を含んだちょっと野暮ったさのある艶っぽさが好きだ。それは、決して不快ではない異性の暖かい湿り気を伴った体臭が私の臭覚を刺激した時に催すあの感情に似て、私が、やはり「生き物」であったことを思い起こさせてくれる気分、私に、「私」というものが、知性でも理性でも、それらを作り出す言語をもってしても、なすすべのない圧倒的に「心地よい様々な物」のあることを忘れていない「生き物」であったことを思い起こさせてくれるからだ。
 この季節、目を楽しませるもの、心踊らせる物には事欠かない。見るもの聞くもの触るもの全てが私の気持ちをわくわくさせるのだ。
 しかし、私の気分は楽しいし、様々に興味を持つのだけれど、こんな景色の中にいるのに、どこか退屈で、寂しいのである。この暖かい光の中にいるとため息が出るのである。
 
 私の日々は百姓である。
 彫刻や絵画とは全く縁がないとさえ言える日々である。
 私は朝方日の出る少し前に田に出て、夕方日が落ちて薄暗くなって、畑から帰る。毎日同じである。よほどのことがない限り変わることはない。百姓の時の流れにはめりはりがない。ゆらゆらとしていて、時間の区切りが付けにくいのである。のんびりとしているのではない。百姓仕事は忙しい。お天道様とお月様には休みがない。それに、私の都合に合わせて動いてくれるわけでもないので、私がお天道様に合わせて動くしかないのである。そして季節はどんどん進んでいくので、私は一所懸命働くのである。

 折口は「ほうとする話」という文章の冒頭の部分で、沖縄の島々の何処までも続く碧い海青い空蒼い山を見て、見回してもこれだけしか見えない光景を視て、「寂しい天地」であると書いた。そんな天地を見て「ほう」とすると言った。そんな天地に「置き忘れられたような村」の人の「営み」を「つれづれな生活」と言い、そこに住む島人の一生は「もっともっと深いため息に値する」と、「物音もない海浜に、ほうとして暮らしつづけている。」と書いた。
 
 百姓の世界は、お天道様が作る「時」と「天地」の中にある。ここでは、「私という意識」は霞のように薄くなる。「私という意識」がないわけではない。そこでは、「私という意識」或は、「私が」より、「お天道様」であり「お天道様のおかげ様で」なのである。お天道様の作る「時」は「流れ」である。そこには何の単位も区切りもない。私がそれを「私が」と意識しなくてもそれは流れていく。また、「天地」も「私が」と意識しなくても「天地」としてあり、さらに、この「身体」さえも「私が」と意識しなくても「私の身体」であり、「私の」と意識しても時が来れば「私」から去ってしまい、「私が」を世界から消し去ってしまう。「私は」と言えるのは、かろうじて「私たちの社会」という制度の内側においてだけである。いくら「私は」と天に向かって叫んでみても、地団駄踏んで地にあたってみても、「私は」の無力さをあらためて知らされるだけである。しかし私は、「私という意識」を「私の時間」を「私の天地」を「私たちの社会」の内において既に知ってしまっているので、ここに身をおいて、「私は」と思い返す時、「私が」が「お天道様」によって、隅に追いやられてしまう満たされなさを感じてしまうのである。
 おそらく折口が感じたのも、その、ため息や寂しさの根っこの部分はこんなことなのだと思う。「人の営み」の希薄さの「寂しさ」を言っているばかりではないだろう。こんな、「私が」のない「時」と「天地」の中に身を置くということはなんと「私が」を「寂しい」気分にさせることか、そして更に暮らし続けるということは、なんとなんと深いため息に値することか、ということだろう。
 「時と天地」は「私が」からなんと遠いことだ、と言うため息なのだ。
(しかし、本当に寂しいのは、唯々この天地を楽しんでいるわけにはおられない、私たちの作ったその事実なのかもしれない。)

 さて、「私が」から遠いと言えば、彫刻もかなり遠いものである。私が塑造をするのは物に直に触れることができるからだ。どうも私は何かに寄り掛からないと済まないようである。私の意識の幼さゆえだろうか。私には物に触って確認しないと満たされないものがあるのだ。私は、見ることに不安を感じるのである。私の目は「私は」と塑像を見るのだけれど、私の目に映るのは、あの「天地」に似て「私はお前じゃない」と私を見返してくるそれである。「視る」ことは「私が」がいかに孤独であるかを私に突き付けるのである。だから私は、手の内に納まるような小さなものを、必ずしも「私が」ではないけれど、「私が」に最も近い私の「手」を使って作ろうとするのである。しかし、身体は「私が」に最も近い最遠のものである。その担っているものは「老い」(時)であり、「痛み」(肉=天地)であり、彼は「私が」の意のままにならない「生き物」であって、私が「私の」と意識する以前に既に生き物として世界の中に居場所を占めていた、「私」であって、しかも、「時と天地」であるものである。だから「手」は、「私が」の知らない物を繰り返し私に突き付けてくる。そして、私が手の内で塑像を作り、そっと掌を開く時、私の目は、私からスッと離れ、いったい何処とも分らぬ彼方へ遠ざかっていこうとするそれを見つける。だから私は再び握り返すのだ。それを繰り返す。
 そして、ブロンズに鋳造した時、それらはついに「時」と「天地」に帰ってしまう。

 そんなことを考えながら峠道を下っていく。
 春の山は微かな腐敗臭で満ちている。
 それは、つい最近まで生き物であったものやその排泄物が、気温の上昇とともに腐りはじめた微かな臭いである。私はその臭いがたまらなく好きである。「圧倒的に心地よい物」の一つなのだ。
 そんなふうに「天地」を受け入れながら歩いていくと、少しは気分も良くなるのである。
 そうなのだ、この「私が」の希薄な世界では、それを受け入れてしまえば、良いか悪いかは知らないが、「私が」という世界の作る、あの「寂しさ」は、ちょうど異性の肌の心地よい湿り気を持った暖かさと感触の中にいる時の様に、薄いのである。

                     2006年12月 山崎 豊三

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撮影;佐藤毅


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