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 07-09(untitled),2007,91x65.2cm,oil on canvas

  
 07-02,2007,65x50cm,oil and wax on canvas



企画
竹内 義郎展
TAKEUCHI Yoshiro

2007.12.10(月)―12.22(土)

「作家コメント」

 
 いくつかの作品のサブタイトルとして使っている「見つめることと待つこと」という言葉は、シ
モーヌ・ヴェイユの文章からの引用である。ヴェイユは「それが美しいものにふさわしい態度であ
る」としながら、「自分で考えつくことができ、欲求することができ、願望することができる限り、
美しいものは出現しない。」と続けている。それが手の届かないものであっても、身近なものであ
っても、「見つめること」はここでは「想い」を寄せる姿勢として選択されていて、理解したり解
釈しようとすることではない。そこから、向き合うことの果てにさえ保証され得ない「出現」ある
いは「顕現」への待機へと続いている。

 福音書の中のトマスの話にも同様のニュアンスを感じる。トマスは復活したイエスに会ったとい
う弟子仲間の言葉に対して「手に釘の跡を見、自分の指をその釘の跡に入れてみなければ、(中略)決
して信じない。」と言う。その後、現れたイエスはトマスを諭し、「わたしを見たから信じたのか、
見ないで信じる人たちは幸いである」と言う。ここでの「見ないで」とはどういうことか。今ここ
で信じることは、どのようにして可能か。感覚的な願望が退けられてしまっていて、「想い」が唐
突に待機のうちに突き返されてしまっている感がある。

 「美しいもの」「まだ見ぬもの」がある時ふいにあらわれるものなら、先のわからない待機であ
るなら、その時まで課せられた時間に耐えうるだろうか。あるいは今ここでの表現がどのようにし
て可能になるのか。ヴェイユは先の言葉にさらに続けて、「だからこそ、すべての美の中には除き
去ることができない矛盾、苦、欠如が見出される。」と言っている。「見ること」「在ること」への
願望は否定されるべくもなく、目の前に顕れるものが真正のものでないとしても、「待つこと」は
放棄されるべきではない。それでもと言うのなら、私たちは、懼れる必要こそないが、わきまえな
くてはならないのである。

 イコノクラスムの時代、擁護派はイコンの在り方についてこう規制したという。
「これらの画像を眺めれば眺めるほどそれが表わすものへの思慕が強まり、これに接吻し、崇敬して
その前にひれ伏すであろう。しかし画像には、神のみにふさわしい真の
崇拝を捧げるのではなく、十字架や福音書に対すると同じく、香と蝋燭の光を捧げよ。」


 見つめ、待ち、わきまえることによって、今ここに表現が存在する地平。「在るべきもの」と「在
るもの」についての自覚。
 いかなる平凡な一生も、固有の生としての輝きを持つことができるように、作品のひとつが「存在」
としての姿を証できるなら、恵みという他は無いのである。

                     2007年12月         竹内 義郎

参考;
「重力と恩寵」 シモーヌ・ヴェイユ  田辺 保 訳
「重力と恩寵」 シモーヌ・ヴェイユ  渡邉 義愛 訳
「ビザンツ的表象の世界」 辻 佐保子



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