なびす画廊

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 「闇淤加美 No.5」アクリルにキャンバス、
  2006年 72.8x60.6cm(F20)


 
 「闇御津羽 No.7」アクリルにキャンバス、
  2007年 162.1x130.3cm(F100)



企画
黒須 信雄展
KUROSU Nobuo

2007.07.02(火)―07.14(土)

「作家コメント」

   表現は絵画を豊麗たらしめる重要な要素であるけれども、その実質ではない。絵画の基幹を成すのは顕現と論理であり、それらは〈絵画に於て〉分節はし得ても分離し得ない。従って、単なる表現に過ぎないもの、〈顕現=論理〉を内包しないものは、絵画ではない。表現的要素の多寡は、絵画の自律性とは本質的に関わるものでなく、現実裡にあって顕現と論理が欲するかたちの諸相の実現様態にこそ関わるものである。顕現とイクォールで結ばれる絵画的論理が言語的思惟形式に於けるのとは異なる論理形式を持つのは当然であるが、例えば〈到達し得ない中心へと向かう無意識〉と錬金術とのパラレルな関係が共々に〈意識的論理〉ならざる論理として結ばれることが心的総體性及び存在論的遡行意志双方に深く関与する如く、絵画は物質と非物質・生成と喪失を両輪として無限的な存在形式転換を以てこそ己れを示すのであり、それは〈視覚〉の多層性を〈曾て無くこれより以后もけっして無い〉処の真なる非在へと遠く木精させる。尤も非在は、このように思惟され発語されるとき、既にして非在それ自體でないことは留意して置かなければなるまい。
 非在を〈彼方〉に見遙かすとき、絵画に於ける顕現と論理が一方に無限の喪失であり、また一方には未成のみを己れの核とする矛盾と不可能に他ならないことが朧げながらも了解されよう。処で、現実的に或る絵画を〈見る〉ことが叶わないのは、肉眼の機能が損なわれるか当該の絵画そのものが喪失されるかの場合である。先述の通り心的総體と物質の変容は別箇の問題ではないから、真に絵画を〈見る〉とは無限階梯の存在論的遡行意志に拠るのだけれども、更に絵画が絵画に成るとは礎としての物質的側面に於て往く往くは喪失に至る無限階梯の変容が顕現そのものと同一であると云うに等しい。その意味では、絵画の実質である顕現とは、喪失さえも含んだ一切の現実的変容をして尚も不変である処の非実體である。にも拘らず、絵画は物質及び物體を通じてしか己れを顕せない。この謎めいた矛盾が存在者の引き裂かれた痛みと同質であること言を俟たないとして、この世界に存在する一切が現実としての変容を逃れ得ぬことは見方を換えれば現実裡に在る悉皆が自己超出の渇望を抱懐することでもあろうが、それだけではその渇望は意志や自由を全く欠いているゆえただ空しいばかりである。その空しさを逃れ得るのは専ら存在的であることを肯じない処の存在論的意志であって、不可能性と矛盾を免れないとしてもその実現的営為として絵画の〈顕現〉は〈喪われることはない〉。
 畢竟、絵画の謎と矛盾とは絵画が絵画であると云うに尽きる。

二〇〇七年 四月   黒須信雄

→2003年の展覧会/past exhibition
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